2016年03月12日

3・11その3

 

3・11で多くの人が亡くなった。

誰もが携帯を持ち、パソコンやハイブリットカーの時代に。

 

地元の人に聞いた言葉だ。

「昼間だったからまだよかった。」

夜だったら停電で真っ暗になり、避難出来なかっただろう。

地震で家の中はメチャクチャで、

財布どころか車のキーも見つけられないだろう。

 

本当に胸を締め付けられる。

そして一ヶ月しか経っていなのにマスコミが減った。

「忘れられるのが怖い」と地元の人が言った。

 

私が被災地に行ったのは一ヵ月後だが、

その時期は強風が吹き、トタンやガレキが空を飛ぶ。

友人から借りた車なので撮影を中止した日もあった。

 

しかし、一番怖かったのは山田の女子中学生だった。

岩手県山田町の駅を撮影していた時だった。

笑い声が聞こえた。

「ここまでやられたら笑うしかないよね」

泣いているのなら理解も出来るし、声も掛けられる。

しかし、笑い声に不安になった。

写真は山田駅です。

 

http://kazama2.sakura.ne.jp/

から写真作品に入り「光芒なき街」に東北の写真が

たくさんあります。

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posted by 風間健介 at 22:20| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3・11その2

 

3・11の時、東京直下型だと思った。

真っ先に友人達が浮かんだが、

隣のクリーニング屋の老夫婦の家に行った。

しかし、真夏でもアイロンを掛けている80歳は私より気丈だった。

 

私は寝込むことが多かったので、

震災後一ヶ月はテレビを見まくった。

そして被災地に行った。

 

自分のネガがあれば夕張のように忘れられても

いつでも展が出来るからだ。

(今月一杯自宅ギャラリーで展示している。)

 

写真よりテレビの方が情報量が多い。

しかし、テレビより現場の方が数倍酷かった。

いくら高性能のテレビでも臭いは伝わらない。

(花粉なんてもんではないぞ。)

 

私が写真を撮ったとしても被災地のプラスにはならない。

(道の駅やまだの協力で半額寄付とか出来たが。)

元々高尚な人間ではないし、火事場泥棒のようなものだ。

 

カメラを持った多くの人がいた。

若い人が多かったし、高尚な人も多かっただろう。

しかし、話しかけることはなかった。

彼らはみなマスクをしていたからだ。

 

http://kazama2.sakura.ne.jp/sakuhin2.top.html

からの「光芒なき街」に東北の写真がたくさんあります。

ぜひご覧下さい。

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posted by 風間健介 at 13:37| 千葉 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 写真 アート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする